映画鑑賞日記 エドワード・ヤン "A One And A Two"(ヤンヤン夏の思い出)


「這樣不好吧」 不誠実で誠実なFattyという人物

私は台湾が好きで、台湾華語(繁体字を使う、台湾で話される中国語)を勉強してきた。 最近は勉強も止まっているが、街を歩き、映画を観る中で役立つ場面は案外ある。

今回映画を見返して、Fattyという、芸術を享受する青年が発した台詞を、自分の耳で直接拾うことができた。物語の主人公の一人、長女”Ting Ting”を連れ込んだホテルの部屋で、ベッドを共にしようという直前で身を翻し逃げてしまう際の一言。

這樣不好吧(zhe yang bu hao ba)1

意味は、「こういうのは、よくないよな」(字幕では「やっぱり…できないよ」)。 何が「這樣(こういうの)」なのか?

つまり彼には、元々交際していて喧嘩別れした「Li Li」への未練があったということだ。 ホテルの場面の直前、かつてはLiliと逢瀬した交差点で、FattyはTing Tingにキスを迫っていた。その際、「Li Liに未練はない」「見えているのは君だけだ」と断言する2

だが彼は嘘をついていた。未練が残っていたどころか、彼の狙いは、むしろLi Liへの思いを断ち切るために、手頃なガールフレンドとしてTing Tingを選んでいたのだ。しかし彼には葛藤があり、故にこその「這樣不好吧」だ。

こうした行為は彼の身勝手さ3でしかないが、最後の最後に背を向けたのは、彼なりの誠実さでもあった。その葛藤はTing Tingを騙すことへの、と言うよりも、自分自身を偽ることへのそれだったかもしれないが、「真面目な自己完結型人間」の不誠実な誠実さ、みたいなものをよく捉えていたと思う。

Yang Yang, Fatty, NJ は異端的「芸術家」「哲学者」として描かれている

Fattyの不器用さは、映画でも随一だが、映画のタイトルにもなった少年、Yang Yangとその家族もまたそれぞれ不器用だ。とはいえ、母Min Minと長女 Ting Tingの不器用さはあくまで平凡な範疇。深刻なのは、Yang Yangと父親のNJだ。二人は誠実すぎる4が故に周囲に理解されず、苦しむ存在だ。

Yang Yang, Fatty, NJ。実はこの三者は、芸術というリンクによって繋がっている。

  • Yang Yangは未熟な観察者で、芸術を表現する側に立つ。
  • Fattyは芸術を享受する青年で、世俗と離れた真理を見出そうとする。
  • NJもまた芸術を享受する側で、しかしFattyと違い世俗と両立させる器用さがある。

Yang YangとFattyは、芸術を軸に対をなす。

表現者と鑑賞者という違いはあれど5、どちらも「芸術」に強く依存している。ただ、芸術の中に何か哲学的で超越的な「自己救済」を見出そうとするFattyに対して、Yang Yangの芸術観(未熟で無自覚ながらも、あるとすれば)はもっとプリミティブな欲求で、「自分では見えない自分の姿を、沢山の人に見せてあげたい」という、ある種のサービス精神(他者救済)的なところに根ざしている。

NJはどうか。Fattyに対して、芸術(NJの場合は音楽)に救いを求めてる点で、NJはより通じている。そこには確かにFattyと共通するエッセンスがある。だがNJが持つ「高校生で突然好きになった」という音楽への熱情は、Fattyがクラシックや映画に対して持つ態度とは明らかに違う。NJもまた掴みどころのない、本人も「自分はYang Yangと似ている」とするほど哲学者気質を持つ不思議な人物で、「自分の感覚に真っ直ぐ」という点ではFattyと似ているが、NJはもっと現実と融和的に生きていけるタイプだし、芸術を愛してはいても崇拝はしていない。

NJはFattyになり得たが、ならなかった(あるいはFattyはまた、NJになり得た)。

その原因を、二人の違いの中に見出すことはいくらでもできるが(違っていることの方が多いのだから)、映画はただシンプルに、「芸術」という太陽の持つ力とうまく付き合えた人間と、逆に「やられてしまった」人間を対比的に描きたかったのだと思った。

エドワードはきっと(その正直さと厳密さゆえに)、芸術が持つ光だけではなく、闇も描かなければ映画は完全ではない、と思ったに違いない。この作家には自省的なところがあるからだ6

Footnotes

  1. 末尾の吧(「バ」と発音する)はニュアンスを伝えにくいが、「…だよね」と軽い同意を求める感覚の品詞で、Ting Tingというより自分に言い聞かせる雰囲気がある。

  2. 二人がふたことみこと話し、キスをするまでのこの間に信号機が二度も変わる。信号の青と赤が、告白をし、唇を重ねる瞬間にパッと切り替わる場面は劇中でも極端に映像的だ。

  3. 彼は真っ直ぐな人間だ。例えばTing Tingの立場も考えずに、Li Liに渡して欲しいと手紙を渡し続けた。何かを崇拝し出すと周りが見えなくなるタイプで、言い換えるとやっぱり身勝手な人だ。

  4. この映画における「誠実さ」をよりはっきり言えば、現実に対して「嘘をつけない」ということ。世界を凝視する態度があってのことで、例えばYang Yangの学校の「主任」のようなタイプには、その眼差しが耐えられない。

  5. この二つは対立するようで、実は突き詰めればあまり変わらないと思っている

  6. どの作品にも創作者(そして、異邦人的存在である外省人)としての自己を投影した人物が現れる。