2026-W31 全自動パイプラインや1003回再生や足枕など
これは7/27から8/2までの日記だ。それを今、8/10の月曜日に書いている。
先週書いた「手段の目的化」という悪癖が、今週はきれいに自分へ跳ね返ってきた。ついでに、作ったものが初めて人に届いた。その二つは、たぶん同じ話だ。
Fountainからブログと動画が勝手に出てくる仕組みを作った
とうとうClaude Codeに課金した。目的はMCP経由の3Dモデル制作だったのだが、蓋を開けてみたら、まったく別のところに火がついた。
Obsidianで書いた対話ノート(Fountain JP記法)から、Astroの吹き出し記事と、ゆっくり解説風のMP4動画が、両方とも自動で出てくる。そういうパイプラインを一本通した。
obsidian-fountain-editor-jpという記法エディタを自作して公開し、Astro側にはchat viewを顔アイコン付きの吹き出しに変換するRemarkプラグインを噛ませた。動画側はVOICEVOX(ずんだもん × 青山龍星)で喋らせて、立ち絵をバウンドさせ、極太字幕とBGMを乗せる。要するに、思考のメモを書くと、その週のうちに記事と動画になって出ていく。
これは先週書いた「仕組み化できることは自動化して、脳のリソースを使わない」という話の、そのまんまの実践だ。自分は根が面倒くさがりなので、一回書いたものを二回加工したくない。加工したくないから仕組みを作る。動機としては褒められたものじゃないが、動くものが出てくるならそれでいい。
ただ、ここで正直に書いておかないといけないことがある。パイプラインを磨いている時間が、いちばん楽しい。表情パターンを増やす、音声の間を詰める、背景を切り替える、ルビで読みを指定する、ピクセルアート風にして絵の不出来をぼかす。この1〜5の改善リストを潰している間、私は一本も台本を書いていない。
先週さんざん「細部のこだわりのために全体最適を諦める」職場を批判した口で、私は自分の工房で同じことをやっていた。几帳面さを笑う人間が、一番几帳面な場所に籠もる。手段の目的化というのは、他人の職場ではなく、だいたい自分の机の上で起きている。
1,003回再生と、登録者「+1」の重み
8/1に動画を1本出した。『イヌイットも先住民を駆逐していた』という、101秒の短いやつだ。
これが1日で1,003回再生された。それまでの私の動画は、再生数が1とか3とか4である。去年の秋に出した10分近い真面目な解説が3だったのに、101秒が1,003である。総再生回数はその日を境に一気に1,732回になった。
数字を並べていて面白かったのはここだ。同じ8/1に出したもう1本、『AIが若者を幸せにしていない現実』は681回再生されているのに、クリック率が0.00%だった。いっぽうイヌイットのほうは20.83%。つまり後者は「サムネイルを見て選ばれた」のに対し、前者は「選ばれずに流れてきた」ということらしい。同じ再生数の中に、まったく性質の違う681人と1,003人がいる。再生数という一個の数字は、思っていたよりずっと粗い解像度でしか現実を写していない。
そしてチャンネル登録者は +1人 だった。
1,003回再生されて1人である。率で考えれば絶望的な数字なのだろうが、私はこれをけっこう嬉しく受け取っている。1,003回のうち1,002回は通り過ぎていったが、1人は「次も観る」と言ってくれたわけだ。千人にちょっと触られるより、一人に選ばれるほうが手応えとして具体的だ。
とはいえ、この手応えには気味の悪さもある。数字が出た瞬間に、私は分析レポートを作り始めていた。CTRを見て、動画長を見て、投稿時間を見て、「なぜ伸びたか」を言語化しようとしていた。それは正しい作業だと思うが、正しい作業のほうが、面白い台本を書くよりずっと楽であるという点は警戒しておきたい。数字は餌付けがうまい。飼われないようにしたい。
「地球観察室」——萌えを捨てるという省略の話
YouTubeのチャンネル構想を固めた。『地球観察室』というやつだ。
舞台は宇宙船の小ぢんまりとした観測室。アンティークと最新モニターが同居している。登場するのは二人。ランドセルを背負ったままの小学生タカシと、彼を拉致してきた宇宙人の観測員。ところが力関係が逆で、先生が小学生、生徒が宇宙人である。タカシはマイ水筒のお茶を飲みながら、地球の人類史や企業史や動物史を宇宙人に講義する。宇宙人は拉致した側なのにメモを取りまくる。
最後は必ず日常に着地させる。「アニメ始まるから帰して」「はい!(転送ポチッ)」で、静かなエンディング曲が流れて終わり。デカい主語の話をしたあと、必ず小さい生活に戻ってくる。あの、教養番組を観終わったあとの、なんとも言えないホッとする時間を作りたい。
この構想でいちばん考えたのは、足すことではなく引くことだった。
- 萌えキャラ・女子高生キャラを全廃する(世間的にアイコン化され、手早く人気が取れる)
- ゆっくり動画的な「テンションの高い掛け合い」もやらない
個性というのは足し算では出ないと思っている。何かを思い切って欠落させたとき、そこに空いた穴の形が個性になる。一発でわかる個性が必要で、そのためには一発でわかる欠如が必要だ、というのが今の仮説である。当たっているかはようわかりませんが。
先週の記事で「Less but betterで、最小構成の動画から始める」と書いた。書いた週のうちに1本出て、それが1,000回再生された。言うだけで終わらなかったのは、たぶん人生で数回目である1。
Zettelkastenはなぜ深まらないのか
週の終わりに、私は自分のZettelkastenをミニマル構成に解体した。
数年かけて、それはたいへん洗練された構造になっていた。00_Projects 01_Sources 02_Inbox 03_Incubator 04_PermanentNotes。PARAとZettelkastenのハイブリッド。Fleeting NotesからLiterature Notesを経てPermanent Notesへ、知識が美しく昇華されるプロセス。構造図はほんとうに立派だった。
立派な構造図の下で何が起きていたかというと、02_Inboxが千数百枚に膨れ上がり、04_PermanentNotesにはほとんど何も入っていなかった。私がやっていたのは思考の熟成ではなく、箱を作ることそれ自体である。分類が精緻になるほど、「これはIncubatorかInboxか」で手が止まる。手が止まるからノートは動かない。動かないから深まらない。
先週の記事で批判した「細かいルールを守ることそのものが目的化し、何のためにやっているのかが置き去りにされる」構図が、自分の知識管理システムで完成していた。私は職場の几帳面さに苛立ちながら、家では誰にも強制されていない几帳面さを自分に課していたわけだ。世話がない。
それで、Daily・Notes・Publishくらいまで畳んだ。仮説はこうだ。ノートが深まらないのは分類が甘いからではなく、出口がないからである。 書いたものが記事や動画になって外に出ていくルートが一本通っていれば、ノートは勝手に「使われるために」整う。整えるために整えたノートは、永遠に整うだけだ。
だから今週のパイプラインとZettelkastenの解体は、同じ一つのことだったと思っている。箱を減らして、蛇口を作った。
足枕と中途覚醒、あるいは肉体は思想の証明書か
まったく別の話。夜中に4〜5時間でパチッと目が覚める癖が長らくあって、原因が足枕かもしれないと気づいた。
むくみ対策で足を上げて寝ていたのだが、一晩じゅう上げっぱなしにすると、下半身に溜まっていた水分が一気に上半身へ還流して、腎臓の尿生成量が跳ね上がるらしい。加えて足首が硬くロックしているとふくらはぎのポンプが働かず、日中の水分が下に停滞して、夜になっても自律神経が交感神経優位のまま「循環させよう」と頑張り続ける。頭寒足熱の逆、頭が冷えないまま浅く眠る状態である。
つまり、良いと思ってやっていた対策が、そのまま原因だった。今週はこのパターンばかり踏んでいる気がする。
あわせて昼寝も設計し直した。15〜20分のパワーナップは椅子で上体を15〜30度起こしてカフェインを直前に入れる、90分の本格睡眠は100分タイマー(入眠10分+1サイクル)でベッドに横になりカフェインは入れない、という二本立て。昼寝を「今日のノルマ」としてスケジュールに書いてしまうと罪悪感が消えるのが良かった。Switch 2のゲームFitBoxingも買って、朝にサクッと身体を動かしたりもしてみた。
ちょうど同じ週に三島由紀夫の「人は信じた思想の通りの顔になる」という話に触れていて、肉体は思想の証明書であるという言い方に、うっかり感心してしまった。崇高なことを喋りながら階段で息が上がる知識人はダメだ、と。まあ三島に肯定されたくて筋トレするのは筋が悪いにも程があるが、寝る前に足首を回すくらいなら、思想を持ち出さなくてもできる。
今週気になったテクノロジー・カルチャーメモ
1. VOICEVOX × Fountain記法
脚本記法のFountainは、シーン見出しとキャラ名と台詞しかない、ほとんど何もない仕様だ。何もないからこそ機械が読める。「人間が書きやすい」と「機械が処理できる」が一致する記法はそう多くないので、これは掘る価値がある。ルビ指定を足して読み上げの誤読を潰せるようにしたほか、より日本語文化に特化した記法へと独自に拡張した。
2. Blender MCP
AIがBlenderを操作してくれるという話。触ってはみたが、モデリングをやってくれるわけではないねんなぁ。あくまでTripoなど外部で作らせたアセットを画面に配置するだけ。3D和室の風景くらいは組めた。私はガシガシ形を作るところを見てみたい。
3. voicebox(自分の声を学習させる)
jamiepine/voicebox。自分の音声を学習させられるらしい。ゆっくり風の合成音声には「ゆっくりである」という記号性の強さがあって、それは差別化の敵でもある。自分の声でやるという選択肢は、たぶん一度は試すべきだ。
4. コーヒーを3ヶ月断つと何が起きるか
断ってからの数週間はADD的な症状が出るほど機能しなくなり、しかし抜けたあとは十代のような睡眠が戻る。そして3ヶ月後の一杯目でコカインめいた多幸感が来て、20分後には物音に苛立ちながら強迫的に部屋を片付け始める。 面白いのは、朝の一杯目はうまいから飲んでいるのではなく、夜のあいだに進行した離脱症状を止めるために飲んでいるという指摘だ。あれは目覚めではなく、返済だったというのだ。
5. 「箱の中の羊」——フィクションはノンフィクションに勝てない宿命
是枝裕和さんの脚本の本を買った。脚本という設計図だけで映画を味わえるのか、味わえないとしたらそのギャップは何なのかを知りたい。あわせて、フィクションはノンフィクションに勝てない宿命を負っている、という話が頭に引っかかっている。事実には「本当に起きた」という一点だけで勝てないカードがある。だとしたら作り話の側は何を差し出すのか。まだ答えは出ていない。
その他
7/31に、楽天KOBOで積んだまま読んでいない本を全部書き出してみた。『歩くことの人類史』『海を渡ったモンゴロイド』『暇と退屈の倫理学』『庭の話』『ルールはそもそも何のためにあるのか?』『後ろめたさの人類学』『茶の本』……二十数冊。壮観である。
これらを片っぱしから対話に変換していけば、一年ぶんのコンテンツになるじゃないか、と一瞬考えて、すぐやめた。それは読書ではなく素材調達だ。蛇口を作った次にやることは、水を増やすことじゃなくて、水を飲むことである。
中国語の日記は、まだ一行も習慣になっていない。
Footnotes
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数回目、なのがまた。 ↩