2026-W32 島での海泳ぎとトンネルの開通、そしてレッグプレス


これは8/3から8/9までの日記だ。それを今、8/15の土曜日に書いている。

先週は「全自動パイプラインを作った」だの「再生数が1,000回を超えた」だのと、いかにもデジタルな成果に浮かれていた。 だが今週の私は、曇り空の海に服の下の水着のままで浮かび、夜はコーディング特有のドーパミン中毒に呑まれていた。

人間というのは、意識していないとあっという間に身体を忘れてしまう生き物です。 極端から極端へと揺れ動きながら過ごした、一週間の記録を書いておきます。

生ぬるい海と、人生の「経糸(たていと)」

週の後半、瀬戸内海のとある離島へ渡った。

とある非営利団体と絡むイベントを企画していて、参加した青少年たちの体験活動に同行し、記録写真を撮るためだ。 久々に、年齢が自分の半分ほどしか離れていない小中高生たちと話をした。

田舎の子という括りが正しいのかは分からないけれど、海の上で船を漕いだりロープを操ったりしている子たちは、どこかおおらかだ。 島特有の潮風のなかにいると、まるで昔からそこに住む地元の純朴な子供たちと遊んでいるような、不思議な錯覚を覚える(子供達自体は、田舎とはいえ島の外の地方都市から来た子が多い)。

一通りの取材を終えたあと、服の下に着ていた水着のままで海に入った。

その日は晴天ではなく、コントラストのない曇り空。 照りつける太陽もない代わりに、海水もどこか生ぬるい。

団体の代表の方と話す時間があり、自分の人生についても少し思うところがあった。 「自分には帰るべき居場所があり、人生の経糸(たていと)になるものがある」 ということの尊さについてだ。 その人は、少年時代にその団体に所属していて、就職前に離団してからの長いブランクを経て、リタイアを機に団体の代表を引き継いだのだった。根底にあったのは恩返ししたい、という思いだという。

仕事や日々の雑務、あるいは社会との関わりといったものは、私にとってランダムなものだ。そこに太い経糸が一本通っているだろうか? このブログが一生続くかどうかは分からないが、けれど、せめてその太い経糸にそっと絡まる「細い支線の糸」ではあってほしい。

波に揺られながら、そんなことを静かに考えていた。

コーディングという名の合法ギャンブル

陸に戻ってPCの前に座ればすべてが台無しになる。

木曜日の午後、仕事を早めに切り上げて半休を取った。 妻の帰りが遅い夜、私は「少しだけ」のつもりでPCを開いた。

そこから先は、もうお察しの通りである。

気がつけば画面の前に10時間座り続けた。

プログラミングや環境構築をやったことがある人なら分かってもらえると思うのだが、あれは完全に時間を奪う合法ギャンブルだ。 AIが発達する前から、私はこの罠に何度も引っかかってきた。

「あと一個のエラーを直せば動くかもしれない」 「次のプロンプト、次のスクリプトで、ついに理想の結果が出るのではないか」

この「次こそは」という淡い期待感こそが、脳内でドーパミンを暴走させる元凶なのだ。 パチンコ台の前に座り続ける人と、ターミナルの前で徹夜するプログラマーの脳内物質に、たいした違いはないのだろう。

翌朝起きて、「身体が鉛のように重い……今夜こそはデジタルを断ってアナログに生きよう」と手帳に書いた。 だが結局、その誓いも大して続かず、夜にはまた面白いAIのツールを触っていた。 人間、そう簡単には改心できない。まあ、ある程度節度は持てるようになったから良しとしたい。

点と点が繋がった瞬間(Connecting Dots)

とはいえ、あの10時間の格闘はまったくの無駄だったわけではない。

Win PCで動かしているComfyUIサーバーを、Macのローカル環境(Claude CodeAntigravity)からMCP経由で叩いて画像生成を行うパイプラインが、いよいよ本格的に開通した。

MacからComfyUIを使うこと自体は以前にも試していた。 だが今回、 「MacのObsidian(Zettelkasten)でまとめた資産をもとに、そこから直接ComfyUIを呼び出して画像を作らせる」 というワークフローが一本に繋がったとき、自分の中でカチリと音が鳴った。

ずっと別々に掘り進めていた二つのトンネルが、地下の真ん中で貫通したような感覚だ。 スティーブ・ジョブズの言うConnecting dotsではないけれど、過去に興味本位で手を出してきた散漫な技術やツールは、ある日突然、思いもよらない形で繋がる。 デジタル領域の物作りでは、たまにこういう奇跡が起きるからやめられない。

いま私が作りたいのはオリジナルのWeb漫画だ。 そのためには、単なる2Dイラストの生成にとどまらず、空間的な3D、さらには時間軸を持った動画生成(Wan2.2などのモデル)にまで制作プロセスを拡張していく必要がある。

VRAM 8GBという手元の物理的限界はあるけれど、トンネルが通った今の工房なら、まだまだ面白いものが作れそうだ。

中国語日記のリアルな挫折と発見

先週の記事で「中国語の日記はまだ一行も習慣になっていない」と書いたが、その後もやっぱり習慣化にはならなかった

言い訳になるが、そもそも中国語は、私が最近ぞっこんになっているIT世界の技術用語と相性が悪い…というか、ツール名やプログラミング用語を書こうとするとアルファベット(英語)を使うことになり、文全体が英語に引っ張られてしまう。

新しい習慣を根付かせるには、既存の強力な習慣(例えば朝のルーティンなど)に無理やりくっつけるしかない。


今週気になったテクノロジー・カルチャーメモ

1. 三宮で食べた初めての「麻辣湯(マーラータン)」

神戸・三宮にある、中国人の店員さんが切り盛りしている麻辣湯の店へ行った。 店内に漂う、いい意味での「海外のフランクな空気感」(日本の接客では絶対に見られない割り切り感)が懐かしくて心地よかった。 台湾料理に親しんできた自分にとって、選んだ牛骨スープ自体にはそこまで驚きはなかったものの、トッピングの練り物系には中国大陸ならではの食感と新鮮さがあって美味しかった。

2. 動画生成AIの「時間的一貫性」という武器

キャラクターの多角度の絵(三面図)を用意するために、3Dメッシュを作るのではなく「1枚絵から動画生成AIで360度回転する動画を作り、そこからフレームを抜き出す」というアプローチ。動画モデルが持つ強力な時間的一貫性をハックする手法で、スペックの許す限り試してみたい。

3. 困ったときのレッグプレス(重量MAX × 60回)

画面を凝視しすぎて頭が煮詰まり、身体を動かしていない罪悪感に苛まれたときの私の最終兵器。 24時間ジムに駆け込み、レッグプレスマシンの重量を最大まで上げて、無心で60回押し込む。 脚の筋肉が悲鳴を上げ、乳酸が限界まで溜まった瞬間、脳内の余計なノイズが一気に消し飛ぶ。

思想や理屈で解決できないモヤモヤは、だいたい筋肉で物理的に誤魔化すのが一番早い。 これが今のところ、私が辿り着いたもっとも確実なライフハックである。


編集後記:AIとインタビューシートという新しい実験

このブログの最初の記事(『自分の言葉で綴ることの大切さ』)で、私は「AIに頼らず自分の手で書くことの効能」や「文章への愛着」について宣言した。AIに丸投げした文章は整ってはいるが身体化されず、自分の居場所にはならない、と。

しかし今回、私はその当初の宣言とは少し違う方向への「新しい実験」を試みた。

具体的には、AIに私のDailyノートを読み込ませた上で、五感や本音、思考の解像度を掘り起こすための**「深層インタビューシート(HTMLアプリ)」**を設計させた。そして私がブラウザ上でその問いに愚直に答えた内容をもとに、AIと二人三脚でこの記事を構成・執筆している。

丸投げの「代筆」でも、孤独な「完全手書き」でもない。「AIからの鋭い問いかけによって自分の中から言葉を引き出す」というこのアプローチは、当初懸念していた「文章への愛着の喪失」を回避しつつ、思考の身体化を促す面白い着地点になりそうだ。

道具と自分の距離感もまた、固定されたものではなく、日々実験と更新の連続である。